謁見の間にて『三人目』に出会う前……ラティア達が帰ってくる、少し前のこと。
 俺、相葉光也――否、この国の次期国王ミツヤ・ウィル・メモリアは、執務室で一人黙々と書類作業を片付けていた。

 ところでこの城には、執務室が複数ある。そのうち、俺が使っているのは二つ。

 一つは国王……俺の養父が病に倒れる前にも使っていた場所であり、俺以外の人物も理由があればそれなりに自由に出入り出来る部屋だ。アイリスなんかは本当に自由に出入りしている。

 そして、もう一つ……俺が今いるこの部屋は、俺以外の人間は絶対に立ち入るなと厳命してある。アイリスやラティア、養父や養母さえも、だ。
 とにかく絶対に一人になれる空間がほしかった。
 今はそうでも無いが……昔はとにかく、前にいた世界のことを懐かしく、恋しく思うことが多かった。アイリスが傍にいて支えていてくれなければ、きっとすぐに折れていただろう。
 だからこそ――当時アイリスに抱いていた感情は、きっと恋愛と一言で言ってしまえるほど大人しいものでも、暖かいものでもなかった。依存、それ以上のものがあっただろう。今は普通の恋愛感情、だと思うが……

 だがアイリスはきっと、俺が前の世界を恋しがっていると知って喜びはしないだろう。
 分かっていたからこそ、本当に辛いときは、アイリスからも自分を遠ざけた。

「……それは、本当に昔の話なのでしょうか?」

 突然部屋に響いた声に、驚くことも無く顔を上げる。
 窓の傍に、黒く小柄な影が一つ。

 黒いマントに黒いフードで全身を覆った声の主に向かい、俺は冷たく返す。

「部屋に入るときはせめてノックくらいしろと言ったはずだ」

「あら、すみません。ですが陛下、私、扉を通りませんから」

「……で、何の用だ」

 この女は……正直、俺にも良く分からない。本名どころかその素顔も、正体も、何を考えているのかも。

 養父が倒れた直後に突然現れた彼女は、俺に『助言』と称して妙なことをいくつか告げた。そして……その全てが的中した。
 それからもこの女は度々こうして現れては俺に『助言』をしてくるのだが……こいつにはどんな見張りも仕掛けも利かず、どんなに厳重に警備された場所であっても、誰にも気付かれず難なく進入する。そして、俺以外の前に姿を見せることは決して無い。

 とりあえず今のところ、俺達に害のある『助言』はしてこないが、それでも、正体の分からない怪しい人間を信用は出来ない。
 故に……一応殆どの女性にはそれなりに丁寧に接する俺だが、こいつに対しては敵意を隠そうとしたことは無かった。

 彼女は何がおかしいのか、くすくすと笑い声をあげている。

「忠告……いえ、『助言』したはずですわね? 『右目』の言うことを聞くべきではない、と」

「理由も分からないのに受け入れる気は無い、と返したはずだ」

「嘘ですね」

 瞬時に答えを言い当てられる。動揺は見せない。見せたりしたら、この女は間違いなくそこをついてくる。

「陛下は『右目』への恋愛感情から、彼女に従っているだけです」

「……理由も話さず従えと言うお前より、アイリスの方が信じられるからな」

 それは紛れも無い本心だった。アイリスは、自分が精霊であることを気にしているかもしれないが……

「…………いえ、それだけは『右目』が正しいですわね。精霊と人間が共にいること自体、おかしいことです」

「っ! ……そこまでアイリスが嫌いか、お前は」

「大嫌いです。いっそ殺してやりたいほどに」

 怒りを抑えて投げかけた問いに、即答される。反論しようとすると、彼女はそれを抑えるかのように続ける。

「陛下には視えていないだけです。彼女は陛下から全てを奪い、にも関わらず笑っているのですよ? 陛下は思ったことは無いのですか、元の世界に帰りたいと。本当の家族に、当時の友人に会いたいと!」

「それは……」

「いいえ、陛下はまだ良いでしょう。この世界にも、貴方を想う者は存在する。ですが私は違う! こんな大陸が存在するから、私は――っ」

 そこで彼女は言葉を切る。俺は思わず口を開いた。

「……お前は、一体何者なんだ?」

 沈黙。彼女も自分が言うべきでは無いことまで口走ったことに気付いたのか、しばらく黙り込み……やがて口を開く。

「陛下が知る必要はありません。……ですが一つだけ。陛下が『右目』よりも私を信じ、私の味方をするというのなら……そのときは私の正体も、何もかも教えて差し上げましょう。元の世界に帰ることも、全てを取り戻すことも出来るでしょう」

「断る。今の俺はミツヤ・ウィル・メモリアなんだ」

 向こうの世界の家族もたまに恋しくなる。ならないと言えば嘘になる。
 だが、こっちにはその心の隙間を埋めようとしてくれるアイリスがいる。俺に実の息子のように接してくれる養父と養母がいる。兄として慕ってくれるラティアが、王子として慕ってくれる国民達がいる。

 ……ただ。

「……一人だけ、心配な奴はいるがな」

 二歳年下の、幼馴染だった少女。少し体が弱く、良く倒れたのを介抱していた。
 当時の俺が恋心を抱いていた相手でもあったが……今はきっと、俺のことなんて忘れているだろう。

 彼女は驚いたように黙り込み……やがて俺に背を向けた。

「そうですか。でしたらもう話すことはありませんわね。また来ます」

「二度と来るな」

 何故こいつとこんなに長時間喋れたんだ、俺……

 そのまま部屋を出るかいつものようにふっと姿を消すかと思ったが、彼女は一歩だけ踏み出してすぐに立ち止まる。

「折角ですから陛下、一つだけ『真実』を。この大陸の意思は、『右目』を作ったもの一つだけではないのです。……十年前に呼ばれたのは、陛下だけではありません」

「なっ……」

 息を呑む。一瞬嘘だろうという考えが頭をよぎるが……こいつの言葉が外れたことは、無い。

「ああ、ついでに私の名前もお教えしておきましょう。……私がそう名乗っているだけですが、私はレヴィアと申します」

「……分からないな。何故このタイミングで自分の名前を?」

「陛下が知る必要はありません。それともうすぐラティア様が帰ってきます。そろそろ通常の執務室に戻ることをお勧めしますわ。……では」

 言葉と共に、彼女……レヴィアの姿が掻き消える。

 俺は嘆息し……とりあえず彼女の言葉通り、書類の束を手に通常の執務室へと向かった。







←前の話へ/次の話へ→