……そろそろ、言わせてもらっていい頃だろうか。

「なあ、いくらなんでも遅くないか?」

 誰にともなく、ではなく、隣に並んで立つ金髪の美少女、ラティア――フルネームをラティア・フォン・メモリアというらしい――に聞こえるようにつぶやいた。

 この街の中央に建つ王城。そこの謁見の間で俺はラティアの『兄様』が姿を現すのを待っていた。……かれこれ、三十分くらい。
 いや、最初の十数分はよかったんだ。玉座とか、大きな観音開きの扉とか、扉と玉座を繋ぐ赤いふわふわの絨毯とか、とにかくこの部屋そのものが物珍しかったから。
 でも、それもいずれは飽きがくる。でもって、飽きてしまえばここは退屈なだけの『なにもない部屋』に成り果てるわけで……。

 若干、足が痛くもなってきた俺に、ラティアが額に疑問符を浮かべて返してくる。

「そうですか? 大体、こんなものですよ?」

「いや、『こんなもの』なわけないだろ。謁見の間っていったら普通、先に王様とかが待っているもので――」

「父様は数年前から病で床に臥せっていますし、お仕事に追われていることの多い兄様がここでのんびりと客人が来るのを待っているわけないじゃないですか」

 ……なるほど、一理ある。
 王様だ王子様だというのを問わず、『謁見の間』にいる人物はいつも玉座に座っているものだ、というイメージが俺の中にはあった。しかし彼女の言うとおり、そんなわけがない。それだったら仕事はいつしているんだ、ということになる。

「でも、やっぱり待たせすぎだと思うんだよなぁ……。なあ、その『兄様』が俺たちが来ていることを知らないっていうことは――」

「ありませんよ。ちゃんと兵士の方にお伝えしたじゃないですか、城の門のところで。その兵士がちゃんと兄様に報告しに行っているはずです」

 そうは言われてもなぁ。やっぱり三十分近くも待たされたら不安も覚えるだろう。あと、苛立ちも。

「まあ、急ぎの用で席が外せなくなっている、ということはあるかもしれませんけどね。なにしろ仕事熱心な方ですからねぇ、兄様は。そのお忙しい時間の合い間を縫って、剣術の稽古をしたり、勉強をしたり。それに物腰も丁寧で紳士的で、でも気さくでもあって……」

「…………」

 ラティアは相当なブラコンなのか、話が『兄様』のことになると途端に饒舌になる。いや、元から口数の多い娘ではあるのだけど、それに輪をかけて。それに表情がどこかうっとりとしたものにもなる。……大丈夫か? 兄弟愛以上のものを抱いちゃったりとかしてないか?

 ほぅ、と息をつくラティアを横目に、俺はトントンとつま先を鳴らす。ふわふわな赤絨毯の上でだったから実際はなんの音もしなかったが、それでもいいのだ。いましたかったのは『いい加減、足が痛くなってきているんだ』という意思表示だったから。
 しかしそれも『うっとり』状態の彼女には伝わらないらしい。

 そうしているうちに、更に(体感時間で)十分ほどが過ぎ、立ち尽くす足が本格的に痛みだしてきた頃。
 「失礼」と声がして、向かって右にある小さめの扉――いや、ドアと表現すべきだろうか――が開いた。そこから入ってきたのは整った顔立ちをした金髪のひとりの青年。
 ここに来るまでにラティアから聞いたところによると、彼の年齢は二十六歳。俺より十も年上だ。そしてラティアとは十一も離れているという。歳が十一も離れた兄妹ってなかなかに珍しいと思うのだけれど、この世界では普通なのだろうか。
 身につけている服は、こういってはなんだけど、かなり質素なものだった。上等な布を使っているんだろうな、とは思えるのだけれど、とにかく『王子様』が着るものじゃない。見た目よりも機能性を重視した結果なのだろうか。けれど頭に王冠もないというのはいかがなものか。

 そして、謁見の間に入ってきたのは彼ひとりではなかった。彼に付き従うように後ろを歩く、金色の髪をポニーテールに結った少女が遅れて俺の目に入る。

「お待たせして申し訳ない、客人。どうか許されよ」

 玉座に座った彼の、いかにも『王子様』、あるいは『王様』然とした口調。あ、なんか背筋が伸びるなぁ。それにちょっと緊張もしてくる。が、彼と共に入ってきた少女の「……ぷっ」という声にそれがほぐされた。

「余はこのメモリア王国の次期国王……」

 言い淀む次期国王。やがて、彼は傍らに立つ少女をジト目で見た。

「――アイリス、笑ってくれるなと言ったじゃないか……」

「ご、ごめんごめん。でも、だって、『余』って、あなたが『余』って……」

 お腹を抱えて、といった下品なことはしていないが、それなりに爆笑のレベルではあるのだろう。アイリスと呼ばれた少女が「あは、あははは……」と目尻に涙を浮かべて笑っていた。

「というか、普通に『私』でいいじゃない。無理に『余』とか使うことないわよ」

「む……」

 笑いやんだアイリスの言葉に次期国王がわずかにうなり、宙に視線をやる。アイリスのほうは今度は『やれやれ』と言いたげに苦笑していた。

 しかし、なんだろう、このアイリスという人のテンション。次期国王だという人に対してなんとも馴れ馴れしいというか、なんというか。
 そんなことを考えながら、視線をアイリスへと移す。
 彼女は端的に言って、美少女だった。もちろんラティアも美少女ではあるのだが、それとはまた微妙に違った感じの美少女。言葉で表すのはなかなかに難しいのだが……そうだな。ラティアは『可愛い』という形容詞が似合う美少女で、うちの姉貴は『美しい』という形容詞が似合う美少女。で、目の前のアイリスはというと、その両方が同居している感じの美少女なのだ。事実、目尻に涙を浮かべて笑っていたときは『可愛い』と感じたし、苦笑したときには『美しい』という印象を受けた。

 年の頃は、おそらく十七――俺よりもひとつ上といったところだろうか。着ているものは伸びやかな肢体にピッタリくっついている感じの服に、タイトのミニスカート。どちらも黒を基調としたデザインになっていた。しかし、謁見の間に彼女が入ってきたときから感じていたことではあるのだけれど、正直、その服はけっこう際どいものではないだろうか。二の腕だって完全に露出させているし。
 そういった上半身を少しだけ隠すように黒いマントを身につけているのだけれど、それだって逆効果。健康的な色合いではあるが、それでも肌はやはり白いため、マントの黒はそれをむしろ強調させてしまっている。

 しかし、この格好を実際に目の当たりにしたとき、『目のやり場に困る』と表現する人はおそらくいないだろう。というのも、くるくるとよく動く表情に寄るものなのか、彼女のその格好からは『いやらしさ』というものを感じないからだ。もちろん色気はあるのだけれど、それは健康的なものとしてしか俺の目には映らなかった。
 ……いや、まあ、そうはいっても、かなりスタイルがいいから、紅いペンダントのある胸元とか、スカートの裾とかからは目を逸らしてしまうけれど。

 そして特筆すべきは彼女の瞳の色。
 それは彼女の胸元にあったペンダントと同じ色をしていた。普通ならありえない色だと思うけれど、ここは異世界。どんな瞳の色をした人がいてもおかしくはないだろう。

 アイリスに「?」と金髪のポニーテールを揺らしながら首を傾げられたことで、俺は彼女をまじまじと見てしまっていたことに気づいた。気まずくなってひとつ咳払いなんかをしてみる。見られるのには慣れているのか、彼女はくすくすと邪気なく笑うだけだった。なぜだかそれにホッとする。

「さて、それでミ……じゃなかった、陛下?」

 俺から次期国王へと視線を戻すアイリス。一瞬口ごもったのは名前で呼びかけたからだろうか。だとするとこの二人、プライベートではかなり親しいのでは?
 ふと隣を見てみると、ラティアがムッとした表情になっていた。……うん、このリアクションは俺でも想像できたさ。

 アイリスの呼びかけに次期国王が少し困った表情をする。

「しかし、次期国王としての威厳というものがだな……」

「平民のいない場でそんなのを気にしなくてもいいでしょ。ほら、彼は異世界の人間なんだし」

 どうやら異世界の人間は平民とイコールでは扱われないらしい。特別視されていると見るべきか、それとも平民以下とされていると見るべきか。

「そうそう、それに兄様は普段のままでも威厳に満ちていますよ!」

 ラティアがアイリスに加勢した。先ほど膨れていたから、てっきりラティアはアイリスのことが嫌いなのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

「そうか? まあ、二人がそう言うなら……」

 あ、折れた。しかも割とあっさりと。

 それにしても、一向に話が進まない。ここは俺のほうから振るべきだろうか。

「あの、ひとついいでしょうか?」

「ん? なにかな? 客人」

 砕けてる! 言葉遣いがめっちゃ砕けてる! 確かに二人から『普段のままで』って言われたけど、だからって切り替え早すぎるだろ!
 だが、そこを突っ込んでいては話が進まない。俺は言葉遣いに関してはスルーして質問を続ける。

「アイリス……さんは陛下の奥さんかなにかなのでしょうか?」

 若干ひねくれ者である俺は、話よ、脱線しろ、という感じに疑問をぶつけてみた。

「いや、そうではないよ。残念ながら、ね」

 残念ながら、をつけ加えますか。つまり次期国王にはその気がある、と。……って、うわ! ラティアが! 隣でラティアがアイリスをものすごい目で睨みつけてる!
 それに気づいていないわけでもないだろうに、アイリスは彼女を挑発するようなことを口にする。

「そうなれたらよかったんだけどね」

 顔を見合わせて苦笑する次期国王殿とアイリスさん。なんか、普通に夫婦に見えるのですが。そしてラティアの表情がものすごいことになっているのですが。……や、王女として問題あるだろ、この表情。
 アイリスもさすがにまずいと感じたのか、雰囲気を変えようと俺に話しかけてきた。

「それで、あなたの名前は? あ、もしかして名前を尋ねるときはまず自分から名乗るべきってタイプ? 私はアイリス・メモルライト、よろしくね」

 疑問系であるはずなのに、答える間をくれないで早々に自分の自己紹介を終えてしまうアイリス。思わず呆然としてしまったが、気を取り直して俺も名前を告げることにする。

「火浦光太(ひうら こうた)です」

「光太くんか、なるほどね」

 俺の名前を聞いて納得したようにうなずく次期国王。そんなに深くうなずく必要が、俺の名前のどこに……?

「コウタ、ね。じゃあ、これからよろしくね、コウタ」

「そういえば、私も貴方の名前は聞いていませんでしたね。コウタさんというんですか」

 お前は自己紹介から、そのまま『兄様』の自慢話に移ったからな。俺が名乗る暇もなかったさ。
 いや、それよりも、だ。

「これからよろしくって、どういう意味ですか? アイリスさん」

「呼び捨てでいいわよ。当面のパートナーになるわけだし。あ、丁寧語もいらないからね」

「パートナー!?」

 なぜにパートナー? あ、この国を救うって話と関係してるのか?

 アイリスが僕の反応を見て、訝しげに首を傾る。

「あれ? もしかして話、ラティアから伝わってない?」

「全然! なにひとつ!」

「ありゃりゃ……」

 と、そこに次期国王が口を挟んできた。

「すまん。ラティアに、この国の危機だとしか伝えなかったのは私だ」

 ああもう! この人もこの人で!

「じゃあコウタ、あなたはこの国に起こっていることをなにも知らずにここに来たの?」

「そうだよ! まあ、それだけってわけでもないけど」

「他にも知ってることがある?」

「まず、世界の――この国の危機だという割に、この国にはこれといった問題がないっぽい」

「まあ、そうね」

「モンスターの大発生が起こったわけじゃないし」

「起こってたら兵士を総動員して退治に向かわせるものね」

「伝染病もないみたいだし」

「起こったら魔術師が大勢、ことにあたるから、そう問題にはならないのよね」

「経済危機の心配もないみたいだし」

「私とミ……陛下がこの国を治めている限り、その心配は要らないでしょうね。――あ、もしかして起こっててほしかった? 経済危機」

「いや、思わないけど……」

 というか、国を経済危機から救えって、よくよく考えてみたら一介の高校生にできることじゃない。力で解決できることじゃないから、魔王討伐よりも難易度高そうだ。……って、そうだ、魔王!

「それに魔王が攻めてくるっていうのならわかりやすいけど、それもないんだろ?」

「あったら、それはそれで面白そうなんだけどね」

 面白そうって……。この人、なんか感性が独特だ。『もしかして起こっててほしかった? 経済危機』という返しだって、普通だったらしないだろう。
 まあ、それは置いておくとして。

「で、この状況でこの国をなにから救えと? この国のどこにそんな問題があると?」

 結局は、ここに戻ってくるわけだ。ラティアはそれがわからないから城に行くんだ、と言っていたけれど、具体的に国をなにから救うのか、次期国王とアイリスはちゃんと把握しているのだろうか。

 果たして、アイリスは考えをまとめようとするかのように口許に人差し指をあてた。そして、こう切り出してくる。

「確かにこの国にはなんの問題もないわ。問題があるのは、この『メモリア・イーター』という名の大陸のほう」

「大陸に問題が?」

 訊き返すと、「そう」と次期国王が説明を始めてくれた。

「端的に言ってしまえば、この大陸は消滅の危機に陥っているんだ。この大陸、『メモリア・イーター』は『知識』を糧として存在している。当然、それが不足すれば大陸は消えてしまうわけだ」

「より正確に言えば、生きとし生けるものが紡いだ『思い出』ね。まあ、最初の頃は『知識』でよかったんだけど、この大陸内で得られる『知識』には限りがあるから」

「そう。例えば一足す一が二になる、という知識は一度得てしまえば、変化することがない。そして変化することのない『知識』を大陸がすべて消費してしまうときが必ず訪れる。いや、もう訪れてしまったと言うべきか。当然、大陸は一度消滅の危機に陥った」

「けどね。陛下は言ったでしょう? 『知識』を糧としているって。つまり、この大陸にも生きたいという思いが、消滅したくないという願いがあるのよ。結果、大陸が次に目をつけたのが、生きとし生けるものが次々に生み出す『思い出』。『経験』と言い換えてもいいかもね」

「しかし、だ――」

 陛下がアイリスの後を継ごうとしたところで、俺は待ったをかけた。

「ちょっと待ってください。生きている大陸? 『知識』や『思い出』を糧として――消費して存在している大陸? そんなものを大陸が求めるなんてこと、普通はないでしょう!?  いや、仮に大陸がなにかを糧にしなければ存在できないのだとしても、です! だったらもっと物理的なものを求めるでしょう! 人間だって物を食べる必要はあっても『思い出』がないだけで死ぬなんてことはありません! まったく、寂しくなったら死ぬウサギじゃあるまいし!」

 俺の当然の主張に、時期国王は苦笑した。どこか、懐かしいものを見たときのように、柔らかく。

「十年前と二十年前にこの世界にやってきた人間も似た疑問を抱いたそうだよ。でも事実は事実として受け止めるしかないんだ」

 事実は事実として、か。なんてムチャクチャな世界なんだ……。……って、ちょっと待った。十年前と二十年前にやってきた人間? 俺以外にもこの世界にやってきた人間がいるのか?
 そう尋ねようとしたところで、しかし、その言葉はアイリスに遮られた。

「『思い出』を――経験を糧に生きるなんてことはないって言うけどね。そういったものを糧に生きているのは人間も同じよ。
 『思い出』は『心』の最大の栄養。人間は生まれたとき、名前や衣服と共に、まず『思い出』を与えられる。自分が行動した結果として『思い出』が得られるのではなく、与えられた『思い出』に沿って行動する。
 なら、木々を育て、花を咲かせ、人間と共に生命を育んできたこの大陸が、そういった『思い出』を糧に生きていることのどこが不自然だというの?」

 それはとても静かな口調で、俺を責めるものではなかった。でも、なぜだろう。心に、ズドンときた。なんだか、自分がこの大陸の『生きよう』という意志を根こそぎ否定していたように感じられた。

 なんでもアリの世界だから、で済ますのではなく、この自分がいま立っている、『メモリア・イーター』という名の大陸の『心』を考えてみる。……なんとなく、だけど。自分が『思い出』を消費して生きていく存在だとして、それを失いながら生きていくのは辛いだろうな、と。そんなことを思った。

 俺の表情を見て、アイリスがフォローを入れてくれる。

「あ、『消費』って言うとちょっと違うかもしれないわね。いえ、糧とできなくなるという意味ではその通りなんだけど、ううん、難しいわね……。『メモリア・イーター』の得た『思い出』はそのまま大陸の『心』に残ってはいるのよ。ただ、食べ飽きちゃった、とでも言えばいいのかしら。まったく同じ『知識』や『思い出』は糧にしようという気が起こらないの。あ、もちろん人間の記憶から『思い出』が失われることもないわ」

 ――え……?

「なにそれ! 深刻になって損した!」

 思わず本音を大声で言ってしまった。

 それに気まずそうに笑ってから、アイリスは説明を続ける。

「ともあれ、そういった事情から『メモリア・イーター』は最初の頃は『知識』を、次は『思い出』を集めないといけなくなった。でも大陸は当然、自由に動けない。目だってついてないしね。そこで『知識』や『思い出』を集めるために大陸は『メモリア・イーター』の端末――『目』である私を創ったの」

「え、じゃあアイリスは人間じゃ――」

「そういうこと。言うなればこの大陸の精霊よ」

「精霊……。つまりは、人間よりも遥かに長く生きている、と」

 ちょっとしたジョークを口にしてみる。アイリスは大声で俺を非難して……くると思ったのだが、そうはならず、

「あら、見た目が『これ』なんだからいいじゃない」

 うん、精霊だからなのだろうか、やっぱり感性が独特だ。

 と、そこでようやくひとつの疑問が頭をかすめた。

「えっと、ちょっと確認いいかな。
 『目』であり精霊であるアイリスが人間の『思い出』を集めないとこの大陸は消えてしまう。当然、この国も一緒に消えてしまう。だからこれはこの国の危機。そうならないよう、アイリスは『思い出』を集める必要がある」

「そうそう。わかってきたじゃない。あ、ちなみに『思い出』を集める方法は、ただこの目で見るだけ。特別なことをする必要はないわ」

「なら、一体俺になにをしろと? アイリスひとりいれば問題は解決できるだろ?」

 その言葉に隣で「確かにそうですね」とうなずくラティア。次期国王とアイリスは「ああ〜……」と再度顔を見合わせた。

「そういえば、そこをまだ言ってなかったな。いいか、光太くん。現在のアイリスは『メモリア・イーター』の『右目』でしかないんだ。昔――三十年前までは彼女ひとりで『思い出』を集めることができたんだが、いまはそれができない。ゆえに、『左目』となる人間が必要なんだ」

 なるほど。それが俺であり、だから『パートナー』と呼ばれたわけか。

「つまり、三十年前まではアイリスひとりで『両目』の役割を果たせた、と? なんでいまはできないんです?」

「それは……だな。聞けばきっと『ふざけるな』と思うだろうが……。
 いいかい? 人間の紡ぎだす『思い出』は、確かに無限だ。しかし、考えればわかるとは思うが、普通の日常生活を送る人間の『思い出』は非常に似たり寄ったりのものになる。それだと、その、なんだ……」

 ……まさかとは思うが。

「もしかして、大陸が――『メモリア・イーター』が似たような『思い出』は飽きた、とか言い出したとか……?」

「まあ、そんなところだな。なんでもアイリスが言うには、糧にならないとまでは言わないまでも、そういった似たり寄ったりの『思い出』は糧となりにくいんだそうだ。『思い出』は変わったものであればあるほどいい、というわけだな」

「ふざけんなあぁぁぁっ!!」

 次期国王に対してだというのに、俺は大声で怒りをぶちまけていた。
 本当にふざけんなよ! 似ていたって『思い出』は『思い出』だろ! 過去のものとまったく同じだというのなら納得してやらなくもないけど、似ているだけのまったく別の『思い出』だろ! なんて食(?)にうるさいんだ、この大陸!

 しかし、それがどうして俺に助けを求めることに繋がるのか。
 その疑問を払拭するかのようにアイリスが口を開いた。

「『思い出』は変わったもののほうがいい。そして集めることのできる『思い出』は『目』となる者の主観による。これだけ言えばわかるかしら? たとえばこの謁見の間。ここを見慣れちゃった私から見れば、ここはなんてことのないただの部屋だけど、あなたにとっては違うわよね」

「ああ、そういうことなんだ……」

 『目』となる者がこの世界の常識に疎いほうが、見るものすべてが新鮮に映る。結果、新鮮な『思い出』が大陸に伝わることになるわけだ。そりゃ、俺だって鮮度の落ちた寿司よりも新鮮な魚を使った寿司を食いたいって思うもんな……。

「どう? わかってくれたかしら? 既存の常識にとらわれない『左目』さん」

「…………。ああ」

 少しの沈黙の末、俺はうなずいた。沈黙があったのは、十年前や二十年前にこの世界にやってきた人間に頼めばいいことじゃないか、と思いついたからなのだが、よく考えるまでもなく、それは無理なのだ。この世界にいれば嫌でもこの世界の常識に慣れてしまい、『左目』としての役割を果たすことができなくなってしまうから。

 それはそれとして、だ。
 そういえば、その十年前と二十年前にこの世界にやってきたという人間は、いまどうしているのだろう? ちゃんと無事、元の世界に帰ることができたのだろうか。

 そのことを尋ねると、次期国王とアイリスは揃って渋い表情になった。少し迷うような間があり、次期国王が脚を組み直す。

「まず、この世界に来た――呼ばれたのはきみが三人目だ。呼んだのは私とアイリス。二人目は一人目とアイリスが協力して呼んだ。一人目はアイリスが自分の力だけで呼んだんだったかな?」

「ええ、危機が訪れる前――私の力が弱まる前に召喚したからね。現在の魔王城に落下させる形になっちゃったけど。そういった意味ではコウタの召喚は大成功だったわ」

「……こほん。で、一人目というのが、その城で現在、魔王をやっている男だ」

 ……なんてこった。

「元の世界には帰れていないんですか……。というか、魔王をやってるって、どうして悪人になっちゃったんです? その一人目」

「悪人? いや、彼は善人だが」

「へ? え? あれ、だって……」

 俺はラティアに目を向ける。

「ええ、魔王は悪人ではありませんよ。むしろ平和主義者で、軍隊も必要最小限しか組織していませんし」

 いや、確かにラティアは『魔王は攻めてくるような力を持っていない』みたいなことを言っていたけどさぁ……。

「そもそも、彼が魔王と呼ばれているのは、強力な魔法を使う王だから、だものね」

 そう補足したのはアイリス。更にラティアは続ける。

「それと、魔は悪とイコールではありません。でないと、魔法の使い手は皆、悪に――アイリスさんだって悪になってしまうじゃないですか。――まあ、『兄様をたぶらかす女は皆、悪』という意味ではその通りかもしれませんけど」

 ジロリとアイリスを睨むラティア。う〜ん、この二人、仲がいいのか悪いのか……。と、待てよ。

「ということは、アイリスも魔法を使えるのか?」

「え? ええ、そうね、例えば……」

ちらりとアイリスが窓にかかる赤いカーテンを見やる。彼女の紅い瞳が更に紅く、紅くなり――。


 ――ボウッ!


 カーテンが本当に燃えた。燃えてしまった。

「ね?」

「いや、『ね?』じゃないだろ! どうするんだよ! 燃えてるぞ!!」

「あ、平気平気。――それっ」

 アイリスの左手から水流が放たれた。それがカーテンの火がついているところを直撃。完全に鎮火させる。……まあ、カーテンに空いた穴まではどうしようもないようだけど。

 と、大きなため息が吐き出された。次期国王のものだ。まあ、当然といえば当然の反応。
 俺は慌てて話を戻した。……あれ? やったのはアイリスなのに、どうして俺が慌ててるんだ?

「あの、陛下。じゃあ、その、二人目は?」

 一瞬の沈黙。しかし次期国王はそれをすぐに破った。

「……死んだよ」

 辛そうに告げられたその言葉に、思わず息を呑む。見ればアイリスも沈んだ表情になり、顔をうつむかせていた。彼らの様子からすると、その二人目は二人とかなり親しい間柄の人間だったのだろうか。

 それにしても、なんてことだ。
 まさか元の世界に戻れた人間がひとりもいないなんて。

 俺の心を読んだかのようにアイリスが言い添える。あるいは、本当に心を読めるのかもしれない。

「元の世界に戻る方法がないわけじゃないわ。だって、現魔王も二人目も『あれ』に到達して、結果、この世界に留まることを選んだんだから」

「本当に? じゃあ、どうして二人はこの世界に留まったんだ? 元の世界に戻る方法があったんだろ?」

「一人目――現魔王は、責任があるから、とだけ言ったわ。二人目は……ごめんなさい、私からは言えない」

 アイリスにとって、二人目のことはあまり触れてほしくないようだった。故人なのだし、無理もないこと……なのだろうか。

「じゃあ、『あれ』っていうのは? 二人が到達したっていう『あれ』ってなに?」

「ごめんなさい。それも私からは言えない。でも、これはいじわるじゃないのよ。『あれ』は到達した人の心の在り様で形が決定されるの。当然、一人目と二人目が見た『あれ』も、同一のものではあるけど、同じ形をしてはいない。
 もし、二人の見た『あれ』の形を教えたら、コウタも『あれ』をその形でしか見れなくなる。結果、その形が現魔王のものと同じなら、彼と同じ結論を出すことになるし、二人目のそれと同じなら、あなたも彼と同じ結末を辿ることになる……んだと思う」

「つまり、俺自身が旅をして、自分で『あれ』に到達しないといけない、と?」

「そういうことになるわね。それと、旅に関しては安心して。私がいる以上、決して危険なものとはならないし、私はパートナーにこの世界の言葉を解する力と、ひとつだけ『能力』を与えることにもしているの」

「能力?」

「そう、『左目』となってもらう際に、ね。ちなみに、一人目には魔法の能力を、二人目には剣の能力を与えたわ」

「じゃあ、俺には?」

 俺の問いに、しかし、彼女は質問で返してきた。

「……一緒に旅に出てくれるの? いまこんな話を聞かされたばかりなのに」

 彼女はそう言うが、俺には選択の余地なんてないように思えた。だって、

「元の世界に帰るには、旅に出て『あれ』とかいうのに到達しなくちゃいけないんだろ? どうしても旅に出なくちゃいけないんだったら、一人で行くよりも二人で行きたいよ」

 ラティアはモンスターはそんなに出ない、と言っていたけれど、それでも出くわす可能性はあるわけだし。

「……ありがとう。じゃあ、あなたに『左目』としての役割と『能力』を与えるわね。――アクセス!」

 思わず身構える俺。しかし、いつまで経ってもなにも起こらない。

「はい、これで完了。じゃあ、改めてよろしくね、コウタ」

「えっ!? まさかもう身についたのか!? 能力!」

「ええ。与えたのは私がさっき使った《炎熱(えんねつ)の魔眼》。対象を見るだけで燃やすことができる力よ」

 ああ、さっきの。
 試しに俺も穴の開いたカーテンのほうを見やり、意識を集中させてみる。集中力は俺の少ない取り柄のひとつだ。

 目に力を込め、カーテンを凝視し――


 ――ボウッ!


 できた! カーテンが燃えた!

「消火消火っと」

 さっきと同じようにアイリスが水流を放ち、鎮火させる。うん、魔法というのは便利だ。カーテンに開いた穴は二つに増えたけど。

「――こほん!」

 次期国王の発した咳払いに思わず飛び上がる。……よくよく考えてみたら俺、とんでもないことをしちゃったんじゃ……。

「あ、あ〜、えっと……」

 アイリスもさすがに『しまった』って表情をしていた。そして彼女も「こほん」と可愛らしく咳払い。

「じゃあ、大陸が消滅する前に出発するとしましょうか! ミ……陛下! コウタに装備とか買ってあげる必要あるから、資金援助お願いね!」

「ちょっと待ってください!」

 謁見の間から走り去ってしまいそうな勢いのアイリスを、ラティアの大声が止めた。

「兄様! この旅、私もついていきます! 私も旅に出て色々な経験を積んでおきたいんです! 剣術だってできますから、足手まといにはならないはずです! いいでしょう!?」

「いや、それは……」

 兄として心配だからなのか、次期国王は渋い表情をする。

「いいんじゃない?」

 アイリスがラティアに加勢する。

「確かにいい経験にはなるでしょ。国内を見て回ってくるだけだから危険もないだろうし、ラティアの剣の腕前はあなたも認めるところでしょう?」

「う、まあ、それはそうなんだがな……」

「それとも、妹に会えなくなっちゃうから寂しいとか? お兄ちゃん」

「別にそういうわけじゃない。からかうのもほどほどにしてくれ」

「はいはい。じゃあ、行きましょうか。ラティア、コウタ」


 こうして、俺たちの旅は始まるのだった。
 元の世界に戻るための、物見遊山(ものみゆさん)の旅が。


○時間は戻って……

 私は次の国王となるべき人物と共に謁見の間へと向かっていた。
 私の名、『アイリス・メモルライト』は十年前、隣を歩く彼が私に与えてくれたものだ。それまでは、ただ『アイ(eye)』とだけ呼ばれていた。
 『アイ』。この大陸の『目』だから、『アイ』。ファミリーネームがないことを寂しいだなんて、昔の私は思わなかった。でも、いまはどうだろうか。いまファミリーネームが取り上げられたら、きっと私は寂しさを感じると思う。彼との絆が断ち切られたのだと錯覚して。

 なにより。いまにして思えば、『アイ』という名は、私の『目』という役割を明確にはしてくれたけど、それだけでしかなかった。それを理解できるようになった私は、だからそれを寂しいと感じるのだろう。だって、そこには愛がないから。それにしても、皮肉なものだと思う。『アイ』という名に『愛』がないだなんて。

 彼は、そんな私に名前を与えてくれた。『アイ(目)』にもう二文字ほどをくっつけた『アイリス』という名前と、『メモリア』と『ライト(右)』を合わせた『メモルライト』というファミリーネームを。
 そして、彼はそれからも色々なものを与えてくれた。私の居場所とか、優しさとか、私に対する好意とか、他にも色々。

 けれど私は、彼になにも返せていない。精霊だから、この大陸の守護者だから、私には人間の抱く恋愛感情というものがわからない。傍にいたいと願うこの気持ちが、彼のそれと同じものなのだという確信が持てない。
 私は永遠を生きる存在だ。だから彼と共に老いていくことができない。そんな女が妻になるだなんて、絶対に駄目だ。彼を不幸にしてしまうに決まっている。
 おまけに、私は十年に一度、この大陸が消滅しないように『思い出』を集める旅をしなければならないのだ。それも、彼以外の人間をパートナーとして。おそらくは、二人きりで。

 いや、本当のことを白状してしまえば。
 私は彼――相葉光也(あいば みつや)からすべてを奪ってしまったのだ。
 一番最初は、住んでいる世界を。それに伴い、一緒に日々を暮らしていたのであろう家族を。そして、『あれ』に到達したあとには、相葉光也という存在さえも。

 もちろん、彼を表す名がなくなったわけではない。いまの彼にはミツヤ・ウィル・メモリアという名前がある。家族だって血の繋がらない両親と、妹であるラティアがいる。でも、それでも彼の感じる寂しさが消えることはないに違いない。
 だというのに、彼は自分がさも最初からこの世界の人間であったかのように振舞う。振舞おうとする。そして、振舞えてしまう。事実、妹であるラティアは彼と自分が実の兄妹だと思っている。二人の出会いが彼女の物心がつくかつかないかの頃だったからだ。でも彼女がミツヤに抱くそれは、段々と兄妹愛ではなくなってきているようだ。見ているとわかる。わかってしまう。

 ともあれ、だから、この世界に来た二人目の異世界人は、この国の王子になった瞬間に死んだといっても過言ではない。十年前、私はヒカルと協力して異世界から召喚した彼に剣を扱う能力を与えたけれど、それは結果的に、彼から多くのものを捨てることを余儀なくさせた。
 そして、旅を終えてからも、私は自分のエゴで彼に与え続けた。彼が格好いいと言っていた金髪を、彼の新しい家族を、そして王子という身分を。彼の一番求めているものは私からの愛なのだと――あのときの告白の返事なのだと、わかっていながら。

 この状況では、『愛している』だなんて言えはしない。この感情が人間の抱く恋愛感情と同じではない可能性があるのだから、なおさらだ。

「――三人目」

 不意にミツヤが口を開いた。私が「え?」と訊き返すのを待って、彼は続ける。

「三人目はこの世界でどうなるのかな。『あれ』に到達したとき、どんな答えを出すと思う?」

「それはなんとも。というか、私になんて答えろっていうのよ、ミツヤ」

「それもそうだな。――じゃあ、三人目はなんて名前だと思う? 一人目は光(ひかる)、二人目は光也。どちらも名前に『光』が入る。召喚は、この『光』という漢字を手繰り寄せる感じでやるんだったよな」

「ええ。でもその『カンジ』? の読み方までは私もわからないわ。ほら、『ヒカル』と『ミツヤ』にはまったく共通点がないじゃない」

「俺のいた世界では同じ『光』という字を使っているんだけどな。――じゃあ、そうだな。三人目にはどんな能力を与えるんだ?」

「……魔眼を。
 一人目は大陸で一番の魔法の使い手になった。二人目は大陸最強の剣士になった――」

「大陸最強は言いすぎだよ」

「謙遜は過ぎるとイヤミになるわよ。――ともあれ、三人目は最強の魔眼使いになるでしょうね」

「アイリスの持つ、《炎熱の魔眼》の?」

「ええ、私の持つ、《炎熱の魔眼》の」

「……なんか、妬けるな」

「……バカ」

 本当にバカだと思う。ミツヤへの好意を確信することすらできずにいる私が、他の誰かを好きになるなんて、あるわけがないのに。

「さて、今日は書類仕事で思ったよりも時間を食っちゃったし、客人も待ちくたびれているだろうな」

 気づけば、謁見の間に続くドアのすぐ近くまでやってきていた。

「じゃあ、久しぶりにミツヤの次期国王ぶりを見せてもらうとしましょうか」

 そう言うと、ミツヤはドアのノブへと手を伸ばし、開ける前に私にこう囁いてきた。

「頼むから笑ってくれるなよ、アイリス」

 私はその言葉に、心の中で「努力はするわ」とだけ返した――。




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