――わたし、春日光彩は、とある事情からお城を訪れることになってしまいました まる
うん、なんというか、本当にツイてない。予定では旅立つ三人――光太くん、ラティアちゃん、アイリスさん――のあとを気づかれないようについていくつもりだったというのに……。
この状況を説明するためには、少しばかり時間を遡らなければならない。……うぅ、それはそれとしてレヴィアにはどう言い訳したものやら……。
で、でもでも! 本当に仕方なぁ〜い事情があったんだよ! あれは本当にどうしようもなかったって!
◆
耳に届いた音は、どかんっ! だっただろうか。
気づいたときには、わたしは地面に転がっていた。
「う、うわっ!どうすんだ、轢(ひ)いちまったぞ!」
「あ〜あ、コウタが話しかけるから……」
「話をふってきたのはそっちからだっただろう、アイリス!」
「そんなことを言ってる場合じゃないでしょう、二人とも!」
続いて聴こえてきたのはそんなやりとり。耳に意識を集中してみるに、どうやらその会話はわたしの遥か上方でされているようだった。つまり、相手は乗り物に乗っているということ。で、その乗り物とは……
「そもそも! 町中をユニコーン車で進もうというコウタさんの発想が異常だったんですよ! 普通、引っ張っていくでしょう!? しかも全速力で走らせてましたし!」
「だって、アイリスはまったく反対しなかったから……」
「『だって』じゃありません!」
……お〜い、わたしのことは無視ですか〜? いや、まあ、自分の力で治すからいいっちゃあいいんだけどさぁ……。
わたしは身体中に流れる『気』と体組織――細胞などに意識を集中させ、それが猛スピードで分裂・死滅していくイメージを思い描く。すると痛みが段々と和らいでいき、代わりに耐えがたいほどの空腹が襲ってきた。
うん、初めてやってみたにしては上出来かな。
空腹に関しては、むしろこの程度で済んでよかったと思うべきだろう。なにしろいまの怪我、仮に全治三ヶ月のものだったとしたら、三ヶ月間飲まず食わずで治療していたのと同じことになるのだから。『気』の流れをコントロールしないでやろうものなら、餓死していたに違いない。
「よっこらせっと」
そんなかけ声と同時に立ちあがる。ちなみに、ここは町の入り口。わたしはここで『三人目の左目』たちが来るのを待とうと思っていた。で、ここに着いたと同時に馬車ならぬユニコーン車に撥(は)ねられた、というわけだ。
なんか、ツイてないなぁ。
そんなことを思いながら、入り口近くにある木陰に身を隠そうかと考える。またユニコーン車に撥ねられる様なことがあってはたまらないし、『三人目の左目』一行に見つかったりしたら、それこそたまったものじゃない。
「あ、あの……」
「ん? なに? ああ、わたしだったら見てのとおり大丈夫だから、気にしないで――」
そこまで言ったところで気づく。
ユニコーン車から降りてきたのは、肩辺りまである金髪を持つ十四、五歳の女の子。つまりは、この王国の王女様だ……。
サーッと顔から血の気が引いていく。わたしは自分の身体の構造というものをよく理解しているから、それがよくわかる。
……ど、どうしよう。どうしよう、どうしよう! レヴィアに『接触はなるべく避けるように』って言われたのに、いきなり接触しちゃったよ!
あああああ……! で、でも、まだ一回だからセーフかな? それとももうアウトだったりするのかな!?
と……とにかく、ここは通行人Aのふりをして、さりげな〜く立ち去ろう。うん、そうしよう。ただの通行人というのもあながち間違ってはいないわけだし、不審ではないはず!
「ちょっ! いま、どうやって怪我を治したんだ!?」
駄目だ、話しかけられた! しかも『三人目の左目』当人に!
「え、え〜っと、魔法、みたいなもので……?」
「みたいなものって……」
なんか、金色の髪をポニーテールにした少女が呆れていた。王女様も王女様で、
「聞いたこともないですよ、そんな魔法!」
そりゃあそうでしょうよ。だってこれ、魔法じゃないんだから。
と、そこでわたしのことをじっと見ている『左目』に気づいた。な、なんだろう……!?
「なあ、お前さ。昨日、武器屋にいなかったか?」
「え!? さ、さあ。いなかった……と、思うけど……?」
「いえ、昨日いたのはこの人ですよ。わたし、記憶力には自信あるんです」
王女様、余計なことを!
「ああ、昨日のあの娘。名前を訊いてもいいかしら? 私はアイリス・メモルライトっていうんだけど」
「え、わ、わたし……!? わ、わたし、は……。……あ! そっちの二人の名前はなんていうの!? 自分の名前を言えない相手に名乗ることはできないなぁ〜♪」
余裕を気取ってはいるけれど、心の中ではダラダラと汗をかいているあたし。これで二人が『名乗ることはできない』とか言ってくれれば助かるんだけど、残念ながらそうはならず。
「俺か? 俺は光太。火浦光太だ」
「私はラティア……ラティア、ええと……」
おおっ! 王女様が口ごもってくれた! 見れば彼女がいま着ているのは、お忍び時のものと思われるシンプルな服だ。武器も腰に提げてある小剣ひとつっきりみたいだし。考えてみれば、この状況で自分がこの国の王女だとバラすことはないだろうし、フルネームを名乗ることもないはず。
これは、もしかしたら上手く切り抜けられるかも……?
そんな淡い期待は、『左目』の次の言葉で脆くも崩れ去ってしまった。
「こいつはラティア。ラティア・ラティア・ゴコウノ・スリキレだ」
ちょっ、落語『寿限無(じゅげむ)』のパクリですかい!
「言っておくけど、ポケモンの一種である某ラティ○スとはなんの関係もないぞ」
わかってるって、そんなの!
なんにせよ、これでわたしも名乗らないわけにはいかなくなった。自分でもそうとわかるほどに引きつった笑みを浮かべ、
「あ、あはは。そうなんだ。アイリスさんに光太くん、それとあなたがラティアちゃん、ね。わたしは春日光彩っていって――」
と、そう名乗った直後のこと。
「ラティア様、アイリス様! それと光太殿! よかった、まだ町を出てはいなかったのですね!」
いくつかの小さな人影と、それに比例しない大きな声が風に乗って届いてきた。……ああもう! どうせなら名乗る前に来てくれればよかったのに!
「三人とも! 至急、城にお戻りください!」
目の前までやってきたお城の兵士たち――その中でもリーダー格と思われる大柄な四十半ばくらいの男性が大声でそう叫ぶ。
「城に? それに兵士がラティア『様』……?」
そんなことを白々しく呟いてみせるわたし。案の定、王女様はわたわたとして、
「あ、ええと。私の本名はラティア・フォン・メモリアといって、つまり、その、王族なんです。でも変わらずにラティアちゃんと呼んでいただけると……」
ふむ、この王女様、お城に歳の近いお友達がいなかったのかな?
ふと、そんなことをわたしは思った。しかし、あとから思えば、そんなことを考えていた時間こそが命取りだったわけで。
「ん? そこにいる黒髪の女は……」
リーダー格の男――おそらくは兵士長の視線がわたしに注がれる。『あの場所』で身体構造に関する知識を得たからか、ジロジロと見られるのは普通の人よりも遥かに不快なんだけどなぁ……。
「……やはり! ここ数日、毎日町で盗みを働いている娘!」
(――ヤバッ!)
ただヤバいなんてものじゃない! ヤバいもヤバい、激ヤバだ!
「事情を聞くくらいはしてやる! 大人しく我らと共に城まで来い!」
いやいやいやいや、それは『連行』っていいませんかね!?
わたしのほうへと一歩を踏み出す兵士長(や、本当に兵士長なのかは知らないけど、『リーダー格の兵士』だと呼びにくいから、わたしの中では『兵士長』ということで)。
その行く手を遮ってくれたのは、胸を張ってわたしの前に立つ王女様だった。
「待ってください、兵士長さん! ヒカリさんがそんなことをするとは思えません! 大体、証拠のひとつもないでしょう!?」
……うん、ごめん。かばってくれてなんだけど、それ、本当にわたしの仕業なんだよ。もちろん、そう口には出さないけど。
兵士長(本当に兵士長だったんだ……)は王女様の気迫にたじろいで、
「た、確かに盗まれた物を押さえてはいませんが、しかし目撃者が――」
「この人をそんなに悪者扱いしたいのですか!? なら!」
腰に手をやり、小剣を抜き放つ王女様。……って、ちょっとちょっと!
「私が相手になります!」
ちょおぉぉぉぉっ! 感情だけで突っ走りすぎだよ、この王女様! や、信じてくれること自体はありがたいんだけどさ、でも本当に盗んだからなのか、さっきから、こう、胸にグサグサと……。というか、どうしてわたしをこんなにかばってくれるんだろう、この王女様。
「お、おやめください、ラティア様! どうか剣をお収めになってください!」
「問答無用! 私にとっては初めてできた同世代・同性の友達なんです!」
ああ、だからそこまでしてかばってくれ……って、いやいやいや、わたしたち、いつ友達になりましたっけ? ああ、もしかして『ちゃん』づけされたから、そういう風に思い込んじゃった、とか?
……まあ、彼女と友達になるのは、わたしだってやぶさかじゃないけれど。
「しかし、その娘は盗っ人であり――」
「まだ言いますか! 覚悟っ!」
うん。『覚悟っ!』は本来、わたしが兵士長にこそ言われるべきセリフだよね。
わたしが胸中で突っ込んだのと同時、王女様――いや、ラティアちゃんが地面を蹴った! 一息で兵士長と間合いを詰め――
刹那!
ごがぁっ!
彼女がついさっきまで立っていた場所で破砕音が響いた。なにかと思って目をやると、石畳がバラバラに砕け飛び、そこだけ道が地肌を晒している。これは、どういうこと……?
なんの気なしに空を振り仰ぐわたし。すると近くの屋根に全身黒ずくめの人間が二人、立っているのが目に入ってきた。身体つきからして男女のようだけど、そんなことはどうでもいい。重要なのは……、
「これって、まさか敵襲……?」
「――アクセル!」
横で魔法を使う声。視線をやるとアイリスさんが屋根の上にいる二人を睨むように見つめていた。
「ちょっと外すわね。ラティアとコウタをよろしく」
……えっと、よりによって一番付き合いの浅いわたしに頼みますか?
そう突っ込む間もなく、彼女は黒ずくめ二人の立つ民家へと走りだした。加速魔法『アクセル』を使用したから、そのスピードはかなりのものになっている。
けれど、追えば黒ずくめの男女は当然、逃げるわけで。そして地を行くアイリスさんでは、それを捕まえるのは困難なわけで。
それにすぐ気づいたのか、ひとつぼやくと、アイリスさんは次の魔法を使う。
「失敗失敗。最初の段階で《炎熱の魔眼》を使っておくんだったわね。――フライ!」
高速飛行の魔法で二人の追撃を始めるアイリスさん。彼女の姿はすぐに見えなくなる。
「――なかなかやりますね、兵士長。私の剣をすべて防ぐとは」
ラティアちゃんの声に、視線を彼女らのほうへと戻すわたし。見れば兵士長さんが長剣を手に息を切らせていた。しかし、それはラティアちゃんが強いからではないだろう。いや、それも理由のひとつではあるのかもしれないけど、それ以上に彼の中ではいま、精神的な疲労が大きいはずだ。
だって、相手にしているのが王女様である以上、間違っても彼女に怪我を負わせるわけにはいかないのだから。
「しかし、これで終わりです。メモリア流剣術――奥義!」
奥義!? そんな手加減をしている相手に向かって奥義!?
「瞬牙斬(しゅんがざん)っ!」
ガッ! ガガッ! ドガッ!
兵士長の鎧に当たる度、剣は鈍い音をたてる。
『瞬牙斬』は斬り下ろし、斬り上げ、そして再度斬り下ろしの三連撃。峰打ちではあったようだけど、たまらず兵士長は地面に膝をついた。
「さあ、他に彼女を盗っ人呼ばわりしたい方はかかってきなさい!」
うぅっ! そのセリフはやっぱり胸にくる……!
それはともかく、いくらわたしを疑っていても、彼女の言葉に従って前に出るような兵士なんて、この状況ではいるわけも――いや!
「では、畏れながら、この私が」
進み出たのは銀の長髪の美青年。歳は大体、二十台半ばといったところだろうか。
彼は不敵に微笑んで、自分のほうからラティアちゃんとの間合いを詰めた。いつの間に抜いたのだろう、ぶらんと下げられている手には長剣が握られている。
「いきますよ。――断(だん)!」
銀髪の青年が素早く剣を振りあげる!
あれはメモリア流剣術の『基本の型』のひとつ、斬り上げの『断』。そういえば『基本の型』くらいなら兵士も使えるんだっけ。――いや、それよりも!
すれすれのところで身をのけぞらせ、『断』をかわすラティアちゃん。彼女は一歩後退し、その反動を利用して、
「メモリア流剣術、秘技――疾風(はやて)!」
力強い突きを繰り出す!
対する青年も、
「刃(じん)!」
負けじと剣を横薙ぎに振るった!
ギンッ!
音をたてて火花を散らす二本の剣。
わずかに崩れる二人の体勢。
そして、先に体勢を立て直したのは……、
「これで終わりだっ! 死ね! 絶(ぜつ)!」
先に体勢を立て直したのは、銀髪の青年のほうだった。彼はメモリア流剣術の『秘技』のひとつ、渾身の力を込めた袈裟切り――『絶』でラティアちゃんに斬りかかり……って、え!?
「待て! なにを――」
地に膝をついたままの兵士長が、無意味にも手を伸ばして青年を止めようとする。それはそうだ。だって、いま青年は確かに――
――ボウッ!
なにかが、焼け焦げる音がした。
焦げているのは青年の見事なまでの綺麗な銀の髪。正確には、その先っちょ。
そして、焦がしたのは――
「『死ね』って、どういうことだ?」
目を紅く光らせた少年――光太くんだった。彼の瞳の色はさっきまで、日本人特有の黒だったはず。じゃあ、これは《魔眼》……?
困惑するも、青年の舌打ちの音で『いまはそんなことで戸惑っている場合じゃない』と思いなおす。
「感じからして、ラティアちゃんを殺そうとしてた……っぽいよね?」
「…………」
くすぶっていた火を手で消し、沈黙する青年。
ようやく立ち上がった兵士長が青年に詰め寄る。
「いまの行動はどういうことだ!? ラティア様に技を使っただけでも許されることではないというに……! もしや、お前も奴らの仲間なのか!?」
「奴らの仲間って?」
いつの間に戻ってきていたのだろうか。問うたのはアイリスさんだった。……ん? なんか、わたしを警戒してる? それを感じているのが他ならぬわたしだから、気のせいとかでは絶対にない。でも、なんで……?
またも困惑するわたし。それを知るはずもない兵士長がアイリスさんに答える。
「はい、実は先ほど城で――」
「これはアイリス様。先ほどの二人組はどこに?」
兵士長の言葉を遮ったのは、ニヤニヤという表現がぴったりな表情をしている銀髪の青年。彼女は珍しく苦い表情を浮かべ、
「残念ながら、取り逃がしてしまったわ」
「それはそれは、誠に残念ですね」
言って、ククッと笑う青年。アイリスさんは意に介した風もなく、兵士長に向き直った。
「とりあえず、皆で一度城に戻ろうと思うのだけど、いいかしら?」
「ええ、もちろんです。私はそのためにやってきたのですから。――それと娘、お前にかけられている嫌疑はまだ晴らされていない。よってお前にも一緒に来てもらおう」
うっ、やっぱり忘れてはいなかったか……。
アイリスさんもアイリスさんで、
「ごめんなさいね。濡れ衣だとは思うけど、一応、ね」
いえ、こちらこそごめんなさい。口に出しては言えないけど、全然濡れ衣なんかじゃないんです。あと、どうしてわたしに警戒しまくっているんでしょうか? 他の人は気づかなくても、自分に向けられた感情である以上、わたしにはバレバレなんですけど……。
疑問の答えなんて、もちろん返ってくるわけはなく、アイリスさんは次にラティアちゃんに向いた。
「ラティア、あなたもそれでいいわね?」
「…………」
唇を噛んで下を向くラティアちゃん。
「ラティア」
「……わかりました」
絞りだすような声で、そう返す彼女。うぅ、ごめんなさい。わたしが本当に盗んじゃっててごめんなさい。
「じゃあ、城に戻るとしましょうか」
少し疲れたような声でアイリスさんはそうまとめた。
と、それに光太くんが口を開く。
「……なあ、アイリス。俺には事後承諾なのか? というか、なんか俺、空気になってないか?」
いやいや、そんなことはないと思うよ? だってほら、《魔眼》でラティアちゃんの危機をなんとかしたじゃん。
◆
――とまあ、そんなわけで現在、わたしはお城の謁見の間に立っているわけだ。
ね? 仕方のない事情でしょ?
いま謁見の間で王様がやってくるのを待っているのは、わたしとラティアちゃん、光太くん、兵士長、そしてなぜだかわたしを警戒しているアイリスさん。危険人物である銀髪の青年は当然、ここにはいない。
で、警戒されているのがわかるからか、わたしはついついアイリスさんに意識を向けてしまっていた。
「それにしても、いつになったら旅立てるのかしら……」
だから、それに続く小さな……誰にも聞こえないほどの小さな呟きも、わたしには聞こえていた。
「まあ、いまは旅立つことそのものが心配な状況でもあるんだけど……」
もっとも、聞こえるのと意味がわかるのとは、必ずしもイコールで結ばるわけではないのだけどね。たはは……。
○時間は戻って……
「フレイム!」
屋根の上で、アイリス・メモルライトの放った火炎が弾ける。
黒ずくめの二人組は常にアイリスの目が届かないところに逃げているようだった。
(これは、私の持つ《炎熱の魔眼》のことを知られているわね……)
心の中で呟き、彼女は落ちてきた飛行のスピードを上げるため、再度「アクセル」を使用する。
と、二人組の気配がある一箇所で停止した。逃げるのを諦めて大人しく捕まることにしたのか、それとも迎撃の準備をしているのか。
(おそらく後者ね。気配はちゃんと二人分あるし)
相手の性別はわからないものの、おそらく、どちらかは男だろう。あるいは、肉弾戦でならばアイリスに勝てると踏んだのかもしれない。
(おあいにくさま。私は肉弾戦もそれなりにいけるのよ)
『フライ』を解き、アイリスは地面に降り立つ。そして民家の影に隠れているであろう二人組に問いかけた。
「あの石畳を抉ったのは破壊魔法『ブレイク』で、よね? いえ、その前に照準固定魔法『ロック』も使ってた?」
返ってくるのは、無言の沈黙。
アイリスはかまわず続ける。
「狙いは、ラティアかしら?」
「…………」
返ってくるのは、やはり無言の沈黙。
「知ってる? こういうときの無言はね、図らずも肯定を意味するのよ?」
これにも返ってくるのは、やはり無言の沈黙――ではなく。
「――クラッシュ!」
くぐもった女性の声と同時に飛びくる波動の一撃。『アクセル』の効果がまだ続いていることもあり、アイリスはなんなくかわしてみせる。
「まさか答えの代わりに破壊魔法を使ってくるとはね。それも上級の。――ただの怪しい人間ってわけじゃないわね。誰かに雇われたの?」
「ブレイク!」
今度のそれは男性のものだった。民家の影から伸びた掌。そこから蒼く光る光球がアイリスへと放たれる。
「狙いが甘いわね」
その一言を残し、光球とすれ違うように地を蹴るアイリス。そして民家の影に二人の黒ずくめの姿を認める。
「ブレイク・キャノン!」
ごすっ!
「かはっ……」
アイリスのとび蹴りが黒ずくめの腹に突き刺さった。
漏れる苦悶の声は女性のもの。つまり、もうひとりとの肉弾戦はやや不利になる。
(でも、もうひとりも私の視界には入っている。これなら《炎熱の魔眼》で片をつけられる!)
アイリスの両の瞳が紅く輝き――
刹那!
「――ミスト!」
無傷なほうの黒ずくめが魔法を使い、辺りに白い霧を出現させた!
「しまった!」
思わず歯噛みするアイリス。相手を直接目視しなければならない《魔眼》は、これでは使うことができない。それでも視界がゼロになっているのは相手も同じはず、と彼女は退かないでその場に留まる。
(大丈夫。来た攻撃をいなして、そこに蹴りを叩き込めばいい。勝算は十二分にある)
脚を肩幅に開いた姿勢で、霧が晴れるのを待つアイリス。
果たして、先に動いたのは相手のほう。しかし、それは彼女の予想を裏切るものだった。
(気配が、遠ざかっていく? まさか逃げるつもり!?)
「ま、待ちなさい!」
叫ぶ声は、宙に虚しく溶け消える。
(なんとかしないと! 迎え撃とうとしたのが失敗だった? ……あ、それなら!)
「ストーム!」
突風を起こす魔法に思い当たり、即座に使う。
しかし霧を吹き飛ばしたそのときには、黒ずくめの二人組はすでに姿を消していた。
「……近くに気配は感じられない。逃げられたわね、これは」
なんという失策。
なんという判断ミス。
しかし、それを後悔しても仕方ないと、アイリスはすぐに思考を切り替える。
「ありえないとは思うけど、あの二人がもう一度ラティアのところに行く可能性も、ないとは言えないものね」
呟き、アイリスは再び『フライ』と『アクセル』を使用。猛スピードでラティアたちの許(もと)へと戻る。
(あの二人の雇い主は一体誰なのかしら。可能性があるのは……)
飛びながらも思考は休めない。彼女は怪しい人物を頭の中で順に挙げていく。
(……といったところかしら。あ、それと、カスガ・ヒカリも、ね)
そして、最後に。
(ヒカリはミツヤやコウタと名前のつけ方が似ている人間。可能性はそれほど高くないけど、警戒する必要はあるわよね)
アイリスは、そう心に決めるのだった。
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