「そうか、もう行くのか」

 出発の前にと、俺たちは謁見の間で次期国王と面会していた。3人の報告に、次期国王はぽつりとつぶやく。それはまるで、ここではないどこかを見ながら言っているようだと俺は思った。

「はい、兄様! とりあえず西の魔王さんの所へ行ってきます!」

「そうだな、魔王さんの所へ……って、さん付けでいいのかよッ!?」

「いいんじゃないですか?」

「私はいいと思うが……」

「ふふ、あの人はさま付けとかあんまり似合わないのよ。だから、本人を前にする時以外はさん付けの方が多かったりするの。魔王になった時に随分周りに口調や態度を直せって言われていたみたいだったけど結局直らなかったのね」

「は、はぁ……」

 兄妹の適当な答えとは対照に丁寧な、そして若干楽しそうなアイリスの説明を聞きながら、俺は驚いていた。魔王と言うから、この世界でもおどろおどろしいというか、『クックックックック』とか笑っていそうな悪いイメージを持っていたのだが、昨日の話と今の話で少し、どころかかなりのイメージ変更をした方がいいらしい。会った時に話しかけやすくなったんだと思えば、それは俺にとっていいことだけど。
 俺がアイリスからそんな解説を受けている間に、兄弟は変なやり取りをしていた。

「ラティア、ハンカチ・ティッシュはちゃんと持ったか?」

「はい、兄様。きちんと持ちました」

「非常食もか?」

「はい、持ちましたよ。忘れ物はありません」

「いいか、危なくなったらちゃんと逃げろよ? 意外と強い魔物が住んでたりするからな……」

「もう、兄様! そんなに心配しなくても大丈夫ですよっ!」

「そ、そうか……?」

 どこの漫才と思わなくもないが、これからしばらく兄妹は会えなくなるのだろうから当然なのかな……。俺は……。

「光太君も、準備不足なところはないかな? 資金面だったらもう少しは工面できるが……」

「いえ、大丈夫です。もう十分いただきましたから」

 光太は腰に下げた財布をゆすると、じゃらりと硬質な音を次期国王に示す。紙幣という概念がないため硬貨ばかりが入っているその財布は、光太にとってはとても重く感じられるのでむしろ少しぐらい返してもいいぐらいだった。

「そうか、ならいいのだが」

 次期国王は光太に「足りなくなったらいつでも言ってくれ」と言うと、最後にアイリスのほうを振り向いた。それはやや緩慢な動作で、いつものイメージとは少し違うものだったからやっぱり次期国王とアイリスは……。
 光太はこれ以上聞くのもおかしいかなと思ってラティアのほうを見ると、当のラティアは親の敵でも見るような目つきでアイリスのことを見ていた。その目つきたるや無関係の光太を萎縮させるほどで、顔がイラストでは表せないようなすごいことになっている。

「ら、ラティア……?」

「はい? なんですか、光太さん。私は今ちょっとだけ忙しいので後にしてもらえると嬉しいのですが」

「そ、そうか……。悪かった……」

 結局、光太が引き下がるまでのわずかな間に次期国王とアイリスのやり取りは終わったようで、「そうだな、この時期はこれからの時間少し暑くなるから早めに言った方がいいぞ」という次期国王の忠告もあり、俺たちは出発することにした。ラティアが兄のことを名残惜しそうに見ていたのとは対照的にアイリスは振り向く事も無かったので俺はそれを意外に思いつつ部屋を出る。

「光太君」

 俺は次期国王に呼びとめられて足を止める。アイリスとラティアには先に行っていてもらい、俺は次期国王に向き直る。

「なんでしょうか、陛下」

「君は、元の世界に戻る方法を見受けた時、向こうの世界に戻るのか?」

 ……何故そんな事を。俺は次期国王の態度を怪訝に思いながらも次に言うべき言葉を探す。

「……、そのつもりですけど……」

 次期国王は、その答えを聞いて何か感じるところがあったのか、

「そうか、もし。もしその時が来たら、俺にも協力させてくれ。微力ではあるが力添えぐらいなら出来ると思う」

 目が。
 その透き通るような目が一瞬、どろりと赤く濁ったように。あるいは目の奥で焔が点いたような、なんとも言い表しようのないものに見えて。水彩の絵に一か所だけ油彩を見つけてしまったような、ピアノの演奏にオルガンが混じっているような微妙な違和感に、光太は戸惑う。

「ありがとうございます。それじゃあ」

「ああ、行ってくるといい。もうアイリスとラティアが待っているのだろう」

「ああ行ってくるよ、ミツヤ……」

 どうしてだろう、その時はどうしても陛下と呼ぶ気分にはなれなかった……。

〇出立

「アイリス。陛下とは一体何を話したの?」

 俺は沈黙を守るラティアからのプレッシャーに耐えかねてそう尋ねた。きっと聞いたところで何かを答えてくれるとは思っていないからこそできるわけなのだが、その予想を裏切りアイリスは口を開く。

「どうもこのあたりに昔の知人がいるみたいなの。あったら宜しくって、そう言われたのよ。……馬車が見えたわよ。あれで町の外まで行くわ」

 どうにもごまかされた気がしながら光太が前に向き直ると、そこには輝かんばかりに白い毛並みと高く長く、そして鋭く突き出た一本の角。所謂ユニコーンと呼ばれる生物が繋がれていて。

「だから、これは馬じゃねえええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」

 光太は絶叫した。




 光太たちが出て行くのを玉座の上から見送ると、ミツヤは深く息を吐いた。目を閉じて、何かを絞り出すかのように、深く、深く。
 先ほどの言葉……。手伝うと光太に言ったあれは、決してそれ以外の感情から出たものではないと自分に言い聞かせる。少なくとも、自分が帰りたいと思う事はなかったと。
 たとえ帰る事が出来たとしても、そこはすでにミツヤの知る故郷ではない。この想いを2度もするぐらいであれば、ミツヤはここで、この世界の行く先を見守るだろう。もしかしたら魔王もそう考えているのかもしれないと、ミツヤは思う。
 あの時、光太が謁見の間から出て行く瞬間、もしかしたら彼は俺のその思考のもっと奥深くを流れる物を見たのかもしれない。俺自身ですら知覚出来ない、そんな何かを。
 だとするなら、彼は何を見たのだろう。あの魔眼で、俺の何を見たのだろう。少しだけそれを聞きたかった。そして、決して聞きたいとは思わなかった。俺の何を見て、そして何に火を点けられたかなんて聞きたいわけがない……。

「陛下! 大変です!」

 衛兵が一人、謁見の間に慌てて駆け込んできた。手には、何かの文書のようなものを持っている。ミツヤはそれを受け取ると、すらすらと目を通して行く。たった一枚の文書を読み終わった時、ミツヤは立ち上がり、衛兵に伝える。

「すぐに緊急の会議を開く。寝ているものは叩き起こして用意させろ。先ほど旅たった3人がいたなら連れ戻せ。時間がない、急げっ」

 衛兵は踵を返し、大急ぎで駈け出して行く。もともとこの国は王国だ。それほど会議に集まる人間が多くはないから30分もあれば形だけは整うだろう。しかし、その席にはアイリスはいないだろう。

「光太君、のんびりでいいなんて言ったけれど、そうも言ってられなくなたかもしれないぞ……」

 伝えたい本人にはきっと届かない呟きを、ミツヤは暗い顔でつぶやいた。




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