一、真夜中になると廊下から抜け出せなくなる
 二、歩く二宮金次郎像
 三、校庭で幽霊がブランコを漕いでいる
 四、音楽室にある肖像画のベートーベンが動く
 五、音楽室のピアノがひとりでに鳴る
 六、理科室の人体模型が動く

 七つ目は――


 ***


「……なぁ、やっぱり帰らないか? 何で受験生なのに夜の学校に忍び込まなきゃいけないんだよ」

「お前のせいだろ? 中三にもなって怪談とか怖がるか普通」

「だからって忍び込ませるか!?」

 友人の言葉に突っ込み、肩を落とす。

 ここは地方の、俺達が通う、ごく普通の中学だ。運動部も文化部も、特別目立っている部といえば……せいぜい、今隣ではしゃいでいる友人が入っている陸上部が異様に強いくらいか。

 で、今は夏休み。俺達受験生にとってはかなり大事な時期である。
 ……なのに。

「大体、夏休み終わったら修学旅行じゃん? 夜になったら怪談とかする気満々だぞ、俺」

「お前だけじゃん」

「クラスの男子にも声はかけたぞ」

「酷ぇ。無駄にクラスの中心だからな、お前……」

 この友人のせいで、『夏休みに夜の学校で肝試し』なんて事態に陥っている。
 ついでに俺は友人の言う通り、怪談が大の苦手だ。確かに中三にもなって、しかも男子なのにそれはどうかとは思うが……人間、これだけはどうしても駄目だ〜ってものは一つくらいあるだろう。

 何とか友人の説得を試みる。

「でもお前、陸上部のエースだろ? こんなアホなことしていて良いのかよ」

「あー、まぁすぐに全国大会だけどな。それくらい大丈夫だろ」

「うぉい」

 良いのかそれで。
 
「そんなことより、着いたぞ」

「『そんなこと』なのか、お前にとっての全国大会は……」

 呟きつつ前を見ると、目の前には見慣れた校門があった。……入らなきゃ駄目かなぁ、これ。

「……俺」

「帰るなよ」

 友人に引き摺られ、校門を潜る。


 ――……っ……――


 あれ?

「……今、何か聞こえなかったか?」

「は? いや、何も」

「なっ……聞こえただろ、何か囁き声みたいなのが!?」

「だから聞こえなかったって。幻聴じゃないのか?」

「違っ……なぁ、やっぱり帰らないか?」

「だから駄目だって」

 友人に引き摺られ、校舎に入る。
 一階から順に回ろうという友人の後について、廊下を歩く。……ああ、何で無駄に広いんだ、うちの学校。

 ……しばらくして。

「あれ?」

 気がつくと、友人の姿が無かった。

「ちょ、待てよおい!? 悪ふざけとかならすぐ出てこないと殴るぞ!? 俺マジで駄目なんだからなこういうの!」

 叫んでみるが、廊下は静まり返っている。
 ……って。

「何だよそれ、毎日来ている場所ではぐれるか普通!? と、とにかく、とりあえず昇降口に――」

 戻ろうと、廊下を走る。
 けど、いくら走っても、周りに見える景色は変わらなかった。

「な、何で、何で変わらないんだよ」

 気が動転する。落ち着け、と自分に言い聞かせるが効果は無し。
 とりあえず一度教室にでも入れば元に戻るかもしれないと、近くにあった扉の取っ手を掴み、引く。
 そこはいつもと変わらないであろう、普通の教室だった。

 ……ただ、窓際に人がいたことを覗いては。

 人影が振り返る。
 それは見慣れたこの学校の制服を着た、俺と同い年くらいの少女だった。
 黒く長いサラサラした髪に、整った優しそうな顔。ハーフか何かなのか、目は透き通った青。……一言で言うと、物凄く美人である。

 彼女は驚いた表情を浮かべ、すぐに微笑む。

「どうしたの? こんな夜遅くに」

「そ……それは君もだろ?」

「ふふっ、私は探しモノ。だけど見つからないから、ちょっと休憩していたの。貴方は?」

「お、俺は……」

 促されるまま、彼女に事情を話す。
 嫌だと言っているのに、友人に引き摺られて肝試しに来たこと。
 気がついたら友人がいなくなっていたこと。
 いくら走っても、廊下を抜け出せなかったこと――

 聞き終えると、彼女は納得したように頷いた。

「ねぇ、この学校の七不思議の一つ目、分かる?」

「ああ。確か、『真夜中になると廊下から抜け出せなくなる』……って」

「ええ、貴方が体験したこと。夜は霊達の力も強くなるから、七不思議が再現されていたんじゃないかしら。ほら」

 彼女は窓の外、校庭を指差す。

「二つ目と三つ目。『歩く二宮金次郎像』と、『ブランコを漕ぐ幽霊』ね」

「なっ――」

 窓の外を見る。

 まず、校庭の隅にあるブランコが揺れている。いや、上に人影があるか。どうやら俺よりは少し年下の女の子のようだ。光っているから生きている人間では無いのだろうが……思いっきり楽しそうな笑顔なためか、恐怖が湧いてこない。
 今俺の隣にいる少女の影響もあるのだろうか。この子、全く怖がる様子無いからな……

 二宮金次郎の像に視線を向けると、本当に歩き出す。いや、これはちょっと怖……
 ……く、無かった。二宮さん、そのままブランコの方に……歩いて行って、ぶつかった! ちょうど幽霊に漕がれていたブランコにぶつかったよ! と言うか、ブランコ少女の足が顔を直撃したよ!
 ブランコもかなり高いところまで漕いでいたせいか、二宮さんかなり痛そうだ。いや、像なのに痛いという概念があるのかは知らないけど、顔を抑えているってことは痛いのだろう。
 ああ、しかも怒られてるよ! ブランコ少女に怒られてるよ! 二宮さん正座! ちょっとかわいそうだ!

「…………七不思議?」

「面白いでしょう?」

 少女は俺の隣でくすくすと笑っている。

「何と言うか……七不思議の恐怖、台無しだな」

「でも、貴方には好都合でしょう?」

「……まぁ、な」

 七不思議を忠実に再現してくるよりずっと良いが……何だろう、この納得行かない感じは。

「ところで貴方、お友達は探さなくて良いの? 一緒に探すけど」

「え、あ……良いのか? 君の探し物は……」

「それは後でも大丈夫。すぐに必要なわけじゃないから」

「そうなのか? ……なら、頼む」

 一人で今の校舎を回るのは怖すぎる。……例え、さっきのイマイチ怖さにかける七不思議再現(×2)を見た直後でも。
 俺の顔が青くなっているのが分かったのか、彼女が微笑む。

「ふふっ……それじゃ、行きましょうか」


 ***


「……なぁ、うちの学校の音楽室の七不思議って確か、『肖像画のベートーベンが動く』と『ピアノがひとりでに鳴る』だったよな?」

「ええ。おかげで生演奏会ね」

 音楽室にて行われていたのは、四つ目と五つ目の七不思議の再現――

 否、無人ピアノの生演奏会だった。しかも指揮者はベートーベンだ。耳が聞こえないのによく指揮が出来るなぁ……って、よく聴くと演奏されている曲もベートーベンのものである。

「何だ、この癒される音楽……怪談とか恐怖とか、マジで台無しなんですが」

 音楽室の無人ピアノといえば、学校によっては『四回聞いたら死ぬ』とか、そんな噂もあるらしいが。

「でも、ここにはいないみたいね……貴方のお友達」

「ああ、そうだな。さっさと次に行こう……」


 ***


 ……で。

「残りは理科室と屋上だけか……とりあえず、何も起こらなかったな」

「そうね。理科室は確か……六つ目? 『動く人体模型』だったかしら」

「ああ。……もう理科室で骸骨が踊っているくらいじゃ驚かないぞ」

「すっかり怪談への恐怖心も薄れたみたいね」

「うちの学校の七不思議限定だな」

「ふふっ……それじゃ、開けるわよ?」

 少女が理科室の扉を開ける。

 もちろんそこで繰り広げられていたのは六つ目の七不思議の再現などでは無く……いや、一応再現といえば再現だが、ちょっとこれが七不思議と言われても反応に困るような、

 人体模型のお茶会だった。

「……悪い、もう何て突っ込むべきか分からないよ」

「あら、飲んでいるのって準備室に置いてある薬品? 飲んでも平気なの?」

 彼女の問いに、骸骨がカクカクと頷く。……って、何で普通に訊いちゃうんだこの子も。

「凄いわね、理科室にあるものしか使っていないんだ」

 カクカク。

「ああ、ちゃんとお茶菓子もあるのね。人間には食べられそうに無いけど……これも薬品とかかしら」

 カクカク。

 ……駄目だ、耐えられない。恐怖とは真逆の意味で。

「なぁ、ここにも俺の友達はいないみたいだし、次行かないか?」

「そうね……次、屋上だったかしら?」

 階段を上り、屋上への扉を開ける。普段鍵がかかっているはずのそこは、やけにすんなりと開き――

 少女が屋上の真ん中に走って行き、俺に背を向けてうずくまった。手が、強く顔を押さえつけている。

「なっ……どうしたんだよ!?」

「来ないでっ!」

 ここに来て初めて、彼女は大声を上げる。思わず立ち止まると、彼女は更に続けてくる。

「お願いだから、すぐにここから離れて」

「何でだよ……君は一体」

「良いから、早く……ここ、か、ら……あ、あぁ、嫌、嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ!」

「な、おいっ」

 急に声をあげる彼女に駆け寄り、腕を掴み、顔を見る。


 ……そこに、一般的に『顔』と呼ばれる顔は無かった。


「ひっ」

 思わず手を離し、一歩後退る。

 そこにあったのは、血塗れの、潰れた、さっきまでの整った顔の面影も無い『顔』。

 ……七つ目の怪談を思い出す。

『いじめられ、屋上から突き落とされて命を落とした少女。彼女は校舎を彷徨い、生きている間には見つけられなかった「親しい友人」を探していて、気に入った人間は死後の世界へと引き摺り込む』

 その幽霊の特徴は確か、『顔がグチャグチャに潰れていること』では無かったか――

「あ……貴方も知っていたの? 七つ目の怪談……」

 彼女は潰れた顔のまま、悲しそうな顔で訊ねてくる。

「あ、ああ……」

 頷く。

 ……確かに怪談は怖い。けど、俺には……さっきまでの優しかった彼女が、そんなこと――『人を死後の世界へ引き摺り込む』なんてことをするようには見えなかった。
 さっきまでの、アホらしい七不思議の再現を見てしまったからというのもあるだろう。
 六つ全てが、人を絶対に傷つけないようなものだったのだ。最後の最後で危険な目に遭うというのは……そういう展開も分からなくは無いが、でもそれをこの少女がするというのは違和感の塊でしかなくて、だから……

「えっと……詳しく、聞かせてくれないか?」

「……逃げ、ないの? これを見ても……」

「そりゃ、かなり怖いさ。けど、噂通りだとは……君があんなことするとは、思えないんだ」

 何とか、微笑む。

「だから、詳しく聞きたいんだ。……あえて言うなら、さっきまでの顔に戻ってもらえるとありがたいけど」

「……そうね。屋上を出れば元に戻るわ」

 答えを聞くなり彼女の手を引っ掴み、屋上を出て、階段を駆け下りる。
 屋上を出た途端、確かに彼女の顔は元に戻っていた。

「これで良いな。で、さっきの話だけど――」

「ちょ、ちょっと待って。その、手……」

「手?」

 何故か赤面している彼女を見て、視線を手に移して……彼女の手を握ったままだったことに気付く。

「あ、わ、悪い」

 手を離すと、彼女は僅かにホッとしたような表情。……ちょっとがっかりしたのは何故だ、俺。

「えっと、詳しく聞きたい……だったわよね。とりあえず、噂の殆どは真実よ。私は数年前のここの生徒で、確かにいじめられていたし、死因も屋上から突き落とされたことだから。……さっきの顔も、死んだときの顔だし……」

 彼女の顔が僅かに歪む。

「……ごめん、話したくないなら」

「良いの。……噂はね、結末が違うの。私はまだ、誰も『引き摺り込んで』はいないわ」

「そっか、それを聞いて安心した。……『まだ』?」

「ええ。確かに私は、誰か仲良くなれる人を探していたから……引き摺り込む気なんて無かったけど、もしかしたら……」

「訊いても良いか? どうしてそんなこと……」

「……だって、辛くて」

 彼女の目から、涙が零れ落ちる。

「生きているときも幸せなんて無かったのに、何度も自殺を考えて、それでも頑張って耐えていたのに、結局殺されて、なのにずっと辛いままで、成仏なんて出来なくて……誰か一人でも分かってくれれば、少しは幸せになれるかなって、そう思って、私」

 それを聞いていて、何となく分かる。この子は本当に辛かったのだと。

 いじめられている人間に、自分から関わろうとする奴なんて……いじめている側の人間を除いては、本当にごく少数だ。
 自分にまで目を付けられるのが怖いから、と……皆、関わらないようにするだろう。

 だからこの少女はずっと独りで、相談する相手もいなくて……

 ……だったら彼女が成仏する方法も何となく分かってしまって、俺はそれをするべきなんだろう。

 嘆息する。

「どうして、君が生きている時に出会えなかったんだろうな……俺達」

「え?」

 涙に濡れた顔で、彼女は顔を上げる。

 その唇に、一瞬だけ、俺は自分のそれを重ねた。

「……っ!?」

「俺は……俺は、君のことが好きだ。君はもう生きてはいないって分かっていても、大好きだ。だから……君はもう、独りじゃない」

「あ……」

 彼女が目を見開く。その体が、光に包まれる。

 ……分かっていた。彼女を理解する相手が現れれば、きっと彼女は満足して逝くだろうって。だから、本当は言いたくなかった。けど、それはきっと、彼女を不幸にするだけだから……

 だから、俺は。

「……泣いているの?」

「うるさい」

 彼女から顔を背ける。彼女はくすくすと、最早見慣れた笑い方。

「……ありがとう。私も貴方のこと、大好きだった。ううん、ずっと大好き」

「サンキュ。……でも、きっと俺、この先別な子のこと好きになったりするかもな」

「それはしょうがないわよ。むしろそうしてほしいわ。いつまでも死んだ人間のことを気にしていちゃ駄目。……ただ、たまには私のことも思い出してくれると嬉しいかな」

「もちろん。絶対忘れない」

「ふふっ……貴方のお友達、昇降口の辺りにいるわ。もう校舎も正常に戻っているから、ちゃんと戻れるはずよ。……それと、これ」

 彼女が、俺の手に何かを握らせてくる。これは……石?

「持っていてもらえると嬉しいな。きっと貴方を護ってくれるから」

「そっか……ありがとう」

「ううん、私こそ本当にありがとう。……さよなら」

「……ああ」

 彼女が、空気に溶け込むように消える。

 その顔はこれ以上無いほどの笑顔で、

 俺の手に残ったのは、光を放つ透き通った青の……彼女の目と同じ色の、一つの石だけだった。


 ***


「あ、お前どこ行ってたんだよ、探したんだぞ!? 校舎で迷子になるか普通!」

「迷子って、それはこっちのセリフだろ……」

 昇降口に戻ってみると、確かに友人はいた。……本当に俺のこと探したのか、コイツ。

「にしてもお前、随分平気そうに戻ってきたな。怪談駄目なくせにさ」

「え? ああ……何かそういうの、本気でどうでも良くなる体験してきたわ俺」

 色々な意味で。

「は!? 何だよそれ、詳しく聞かせろよ」

「嫌だね。話してもどうせ信じないだろうし」

「何だよ、良いじゃんちょっとくらい」

「ちょっとも何もあるか。……そうだな、あえて言うなら……」


 七不思議は確かに存在する。そして、全てが怖いとは限らない。

 優しい七不思議も、変な七不思議も、確かに在る。

 それだけは、間違い無かった。







短編の後篇に続く